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【介護】“爪切りの先生”。施設で最期を迎える事を望んだ入居者様。【体験談】

自分が死ぬ場所を選ぶことができるなら、大半の方は「自宅で最期を」と答えます。

しかし現実は、病院で最期を迎える方が圧倒的に多いです。

 

加えて介護施設に入所した方は、介護施設で亡くなるか病院で亡くなるかの二択です。まず自宅で亡くなることはありません。

 

参照:死亡の場所別推移

 

今回紹介するのは、最期の時を介護施設で迎えることを望んだ入居者様の話です。

 

末期癌の入居者様

私たちの施設に、65歳という非常に若いTさんが入所しました。

認知症は無く、身体機能もいたって問題のない方です。

街中を普通に歩いていても何ら不思議では無い普通のおじいちゃん。

 

その方は、末期癌でした。

医者からは半年の余命宣告を受け、いつ倒れてもおかしくないという状況の中で施設に入所されました。

 

若い時から遅くまで煙草や酒、路上では暴力行為をしていたそうで、「若い時のツケが来たんだな」と口癖のように話すのが印象的でした。

 

爪切りの先生

突然私の話をしますが、私は入居者様の爪を切るのが大好きです。

伸びきった爪を切ることも入居者様には難しい事です。

 

「パチパチ」と爪を切る音が心地よく、短くなった爪を見て喜ぶ入居者さんの顔が好きなんです。

そして自分で言うのもなんですが、爪切りが上手いと自負しています。

 

Tさんは入所当初、自分で爪を切る事が出来ました。

しかし、次第に手が震え初め、自分で爪を切る事が出来なくなりました。

 

ある日のお風呂上り、Tさんの伸びた爪を私が切りました。

爪を切った後、Tさんは私に言いました。

 

「ありがとう。“爪切りの先生”だな」

 

表情を一切変えず、そうTさんは言っただけでした。

 

検査入院から急変

入所して2ヶ月が経った頃、Tさんは一週間の検査入院をしました。

しかし入院途中、容体が急変し、入院期間が1ヶ月に伸びました。

 

もうすでに身体はボロボロで、いつ死んでもおかしくない状態です。

その情報を聞いたとき、施設職員はみなこう思いました。

 

「もう帰ってこれないだろう」

 

しかし、1か月後、Tさんは施設に戻ってきました。

自宅でも病院でもなく、施設を選んだTさん

Tさんは退院し、私たちの施設に戻ってきました。

 

Tさんの余命は残り僅か。最後をどこで迎えたいか、Tさんには選択することが出来ました。

 

もう体を動かすことも大変な状態のTさんは、そのまま病院で最期を迎えることができました。

暮らしていた自宅に帰ることもできました。自宅にはTさんを看てくれる協力的な家族がいました。

 

しかし、Tさんは私たちの介護施設に戻ってくることを希望してくれました。

 

すっかりやせ細り、入院前は歩いていたTさんは、車椅子を自分で漕ぐこともできない身体でした。

いつ死んでもおかしくない状況です。

 

最後の爪切り

退院してきたTさんは綺麗な身体をしていました。退院直前に最後のお風呂を病院で済ませてきたのです。

 

しかし不自然な点がありました。Tさんの手の爪は異常に伸びていました。

私の顔を見たTさんは私に言いました。

 

「爪切りお願いしていいか?ここに帰ってくれば“爪切りの先生”がいるから、病院では切らなくていいって言ってたんだ」と話しました。

 

後から聞いた話ですが、Tさんは入院中、家族に「爪切りがうんとうまい職員がいるんだ、帰ったらあの人に切ってもらうから大丈夫」と話していたそうです。

 

もう爪はボロボロでしたが、丁寧に短く切りました。

「流石先生」と一言、表情を変えずに話してくれました。

 

この日から一週間後に、Tさんは逝去されました。

 

施設で最期を迎えることを望んだ入居者様

介護施設で入ったからといって、全員が施設で死を迎えるわけではありません。

というよりも、容体が急変して入院し、病院で死ぬことが非常に多いです。

 

そんな中Tさんは、私たちの施設で最期を迎える事を望み、家族もそれを受け入れました。

 

Tさんが入所してから逝去されるまでの期間はわずか4ヶ月ほど。そのうち1ヵ月は入院していたので、関わった時間は本当に短いものです。

 

私の爪切りが、Tさんにとって施設で最期を迎えたいと思われるほどの影響力を持っていたとは思いません。

 

それでも、入院中も私のことを覚えてくれていたこと、“爪切りの先生”と呼んでくれたことは、Tさんの死後4年が経った今も印象に残っています。

 

介護士にとって、「この施設に入って良かった」と言われることよりも嬉しいことはありません。これからもそう思ってもらえるようにしていきたいと思います。