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【出産体験】50時間の陣痛と難産を妻は乗り越え、私は父親になりました。この日を一生忘れません。【立ち合い出産/吸引分娩】

妻の妊娠39週目の妊婦検診で羊水が全くなくなっていたことが判明し、緊急入院となりました。

 

それから2日後の2018年10月17日。妻が男の子を出産しました。

入院してから出産まで、私は可能な限り妻に付き添い、出産に立ち会いました。

 

今回の出産を絶対に忘れないようにしたいと思い、今回記事にまとめていきます。

 

 

入院した日の夜、陣痛が来た妻

妻の胎盤の中に羊水が全くなくなっており、突然入院することが決まりました。お産を早く進める方向性となりました。

 

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赤ちゃんの状態は問題ありません。

しかし、羊水が無い状態での出産は赤ちゃんを守るものがなく、子宮収縮による圧迫が直接伝わってしまうため、リスクが高く緊急帝王切開になる可能性が十分にあります。

 

入院初日は様子を見ていくとのことで、特に促進させることはなく、私も妻の実家に泊めさせてもらいました。

 

しかしその夜、妻に陣痛が来ていました。

陣痛室に運ばれ、お腹にモニターをつけ一晩を明かした妻はほとんど眠っていない状態。ですが、私を起こさないように連絡をせず、一人で陣痛に耐えていました。

 

私がそれを知ったのは朝、家を出る時でした。

バルーンで誘発開始。しかし一向にお産は進まない

入院二日目。病院に到着し陣痛室に向かうと、既にモニターを付けた状態でベッドに寝ている妻。陣痛の痛みは10分間隔で、痛みはあるものの、強いものではないとのことでした。

 

 

朝の診察の時間になり、医師と誘発分娩を行っていくことを再度確認しました。

医師からは

 

・赤ちゃんの状態は良く、できれば普通分娩で産む方向性で行きたい

・陣痛は来ているがまだ間隔がバラついており、お産の経過が読めない

・子宮口が3cm開いているので、それを広げていきたい

 

 

そのために子宮の中にバルーンと呼ばれる風船を入れて膨らまし、子宮口を広げる処置を行うことになりました。

 

バルーンを入れたことによる痛みはない様子でした。

ですが、それからしばらくして、今までよりも強い陣痛が来始め、徐々に間隔も短くなっていきました。

 

妻はまだ喋ったり笑う余裕はありましたが、陣痛が来たときは表情を歪め、私も腰をさすっていました。

 

『少しずつお産が進んでいるのかな?』

 

そう思っていたのですが、陣痛の間隔が6分程になってからは停滞し、結局それ以上進むことはありませんでした。

 

夕方の診察の際にバルーンを外し、内診を行いましたが、子宮口は4cm

8時間バルーンを入れた状態でも子宮口は1cmしか開かず、これ以上は妻の体力が危ないとのことでこの日の処置はこれ以上しないことになりました。

 

そして陣痛もまた10分間隔に戻ってしまい、1日かけて行った誘発でしたが、結局のところ誘発前と状態はほとんど変わっていませんでした。

面会時間も過ぎ、妻は陣痛が続いているもののすぐの出産にはならないとのことで、私も妻の実家に帰らなければなりませんでした。

 

そしてこの日も夜通し陣痛があり、妻はほとんど眠る事ができずに朝を迎えていました。

 

陣痛促進剤を使用、痛みがピークに

入院して三日目、妻はほとんど眠っていませんが、私が朝一番で陣痛室に向かうと笑顔を見せていました。

 

そんな話をしていたら助産師さんが特別にシャワー室を使わせてくれました。

「今日産まれるといいね。一緒に頑張ろうね」と声をかけてくれた助産師さん。

妻もたくさん励まされていたようです。

 

朝の診察の時間になり、医師からの説明を受けます。

・子宮口は5cmになっているが、子宮頚管が固いため点滴で促進剤を流し、お産を進めていく

・赤ちゃんは問題ないけれど、何かあればすぐに帝王切開に切り替える

・妻の体力を考えても、本日中に出産にもっていきたい

 

診察後、点滴で促進剤を身体に流し始めました。

20分ほどして、これまでにないぐらいモニターの数値が上昇し始め、妻が激しく痛がります。

 

深呼吸を繰り返し、痛みに耐える妻

「お願い、腰さすって」

私も力を入れて腰をさすります。

 

痛みは1分ほど続きました。そして8分後、また同じ痛みが来ます。

ひたすらこの繰り返し。妻に会話する元気はなく、

 

「下!」「上!」

 

と私にさすってほしい腰の位置を言うだけです。

 

促進剤は30分毎に流入量を増やしていき、3時間で最大量になりました。

そこからは痛みに耐えきれず、

「イタイ、アー!」と声を出します。

 

徐々に間隔が短くなり5分間隔で激しい痛みと闘います。

途中座位になったり椅子に座ったりして体勢を変えながら必死に痛みと闘う妻。

昼食も食べられず、ろくに水分も取れません。

 

私はただただ妻の腰をさすって「頑張れ」と声をかけるだけ。

他にできることはありませんでした。

 

ひたすら痛みと闘い、点滴が無くなるころには陣痛の間隔が3分になっていました。

この時には“いきみたい”という気持ちが強くなっており、それとも必死に戦っていました。

 

ですが内診すると、

「まだ(子宮口)7cmだね。点滴追加します」

 

そう医師に言われ、促進剤が追加されます。周りの助産師さんもこまめに妻の様子を確認し、内診をしてお産の進み具合を診ていましたが、やはり進みが悪いようです。

 

点滴が始まってから子宮口が全開になるまでに8時間以上が経過。ようやく妻が陣痛室から分娩室に移動しました。

酸素マスク、二度の会陰切開、最後は吸引分娩で出産へ

分娩室へ移動して分娩台に乗ります。その後も激しい陣痛が来ており、これまで我慢していた“いきみ”も限界がきていました。

 

「もうだめ!いきんじゃう!」

 

私も必死に肛門付近を押します。少しでもゆるめるといきんでしまいそうになる為、全力で押しました。

 

妻は呼吸が激しくなっており、酸素マスクを付けます。

この時はもう陣痛は1分間隔で来ていましたが、まだ赤ちゃんが下りてきておらず、必死にいきみと痛みに耐えていました。ひたすらこの繰り返しです。

 

陣痛室に入って1時間30分。

赤ちゃんが下りてきてついに出産の体制になりました。私は妻の横について、立ち合い出産となります。

すでに時刻は20時を回っており、フロアにいる全ての医師と助産師、10人以上が妻の周りでサポート体制に入ってました。

 

「次の陣痛が来たら呼吸を整えていきんでください」

そう医師に言われ、必死にいきむ妻。しかし産道が狭く、なかなか出てきません。

 

妻の陰部の下に麻酔を打ち、「ちょっと痛いですよ」と皮膚を切られます。会陰切開です。

そして再度いきみます。ですがやはり出てくることが出来ず、妻の肛門部ギリギリまで再度会陰切開をします。

妻はもう体力も限界で、会陰切開の痛みは感じていないようでした。

 

そして、

「ちょっと赤ちゃんがなかなか出てこれないので、これから吸引分娩で赤ちゃんを引っ張ってあげようと思います。」と医師が説明をします。

その後ろでは手術室に連絡をしているスタッフがおり、緊急帝王切開の準備もされていました。

 

吸引器を挿れ、「次一番痛いところでいきみます!せーの!」と医師の合図に合わせていきむ妻。しかし赤ちゃんは出てきません。

私は妻の肩に手を乗せ「頑張れ、もう少しで会えるよ」と励ますことしかできませんでした。

 

2回目の吸引。これも出てきません。しかし、「もうちょっと!頑張れ!」と周りの助産師さんも妻に声を掛けます。

 

3回目。妻のいきみと同時に助産師さんが強くお腹を押します。

4回目、「もうそこにいるよ!」と医師が言います。さらにお腹を強く押されます。

 

そして5回目の吸引で頭が出ました。すぐに周りの助産師さんが取り上げ、全身が外に出ます。

身体は妻の出血で血まみれですが、目を開き、腕を動かしています。そしてすぐに産声を上げました。

「元気な男の子でーす!産まれましたよー!」

 

助産師さんが言った瞬間、妻は「赤ちゃん元気?大丈夫?良かった」と涙を流しました。私も我慢できず泣いてしまいました。

 

分娩室に入って2時間。ようやく赤ちゃんが産まれました。

 

赤ちゃんが産まれてから

赤ちゃんは助産師さんと医師4人がかりで身体を拭かれ、綺麗になった後に処置台に乗り、身体にモニターを付け状態を確認されていました。

 

「羊水が無くて時間もかかったのにどこも異常ないですよ!本当に元気な赤ちゃんです!」助産師さんに言われました。

「ありがとうございました」と答えました。

 

その後は身長・体重を量り、服を来て経過観察です。体重は3200gと十分な大きさがありました。目元は私に似ているそうです。本当にかわいい。

 

妻は出産後、胎盤を出し、切開した部分を縫合しています。

「早く近くで見たい」と話す妻。切開した箇所が広範囲で、縫合に時間がかかりおあずけ状態となっていました。

 

そして縫合が終わり、赤ちゃんも異常がないことが分かると、助産師さんが妻の隣に赤ちゃんを連れていき、親子の時間を頂きました。

 

「かわいいね、私に似て」という妻。おっしゃる通りです。

出産中合計で800mlの出血もあり、妻の顔はやや白かったですが、この日一番いい笑顔でした。

 

私はラウンジで待っていた妻の両親に報告をしに行きました。

「付き添ってくれててよかった、ありがとう」と言われましたが、本当に付き添っていただけです。

 

分娩室で赤ちゃんと一時間過ごしたあと、ようやく病室に戻りました。ずっと陣痛室にいた妻。病室に戻るのすら久しぶりです。時刻は22時を過ぎていましたが、少しゆっくり妻と話をし、私が病院を出たのは23時でした。

 

50時間の陣痛と難産を乗り越えた妻、この日を一生忘れません。

私たち夫婦は、もともと結婚して東京で暮らしていました。ですが将来子供が産まれ、子育てをすることを考えた時に妻の実家に近い仙台市に移住をしてきました。

それが2017年の3月、私が26歳の時です。

 

妻の妊娠が分かったのは2018年の2月。妻は子宮内膜症と診断され、「妊娠しづらい」と言われていました。なので子供が出来た時は夫婦で大喜びしました。

 

私たちが仙台に移住してきたときに一番喜んでくれたのは妻のおばあちゃん。

妊娠の報告をした時も一番喜んでくれました。

 

妊娠中はつわりで食事を食べることが出来なかったり、様々なマイナートラブルもありながら、妊婦検診でエコー写真を見るのを楽しみにしていました。

逆子になったり治ったりを繰り返していて、その都度一喜一憂したりしていました。

 

赤ちゃんがお腹の中で動くたびに「ママだよー」、「パパだよー」と一生懸命話しかけていました。時には胎動が激しすぎて妻が痛がることもありましたが、それでも元気で嬉しかったし、初めて胎動を感じた時のことは今も覚えています。

 

 臨月に入ると、妻が里帰りしてしまい、かなり寂しい思いをしました。

それでもいよいよ産まれると思うと楽しみで仕方なかったし、毎日元気に育ってくれた赤ちゃんに早く会いたかったです。

 

そして2018年10月17日。3200gの元気な赤ちゃんが産まれました。

出産にあたり、妻は50時間の陣痛に耐え、難産を乗り越えてくれました。

 

陣痛中、妻は一度も「やめたい」とか「嫌だ」といったことは口にはしませんでした。

陣痛室で隣にいた妊婦さんは次々にお産が進み、赤ちゃんと出会えている中、ずっと頑張ってくれていました。

10か月もの間赤ちゃんを守ってくれ、本当に辛い思いをして私を父親にしてくれた妻。

 

そして夫というものがいかに無力かということ。妻が妊娠してから出産までの間、私にできたことって本当に少ないと思うし、妻が痛みに耐えている間もそばにいるしかできなかったです。本当に無力。

 

赤ちゃんが産まれてから2日が経ちましたが、分娩室のにおい、赤ちゃんが産まれた瞬間、助産師さんの表情、その日の天気、妻の笑顔、全て覚えています。この日を一生忘れません。

最後に

これまで妻が妊娠してからのことはブログで紹介して来ました。その都度心配してくれたり暖かい言葉を頂き、また出産を楽しみにしてくれている方もいてくださり、本当に感謝しかありません。

頂いた言葉は妻にも伝えていました。妻も「ありがたいね」といつも話しています。

 

今回の記事を通して、読んでくれている皆さんに良い報告が出来て本当に良かったです。これがゴールではなく始まりなので、これからは赤ちゃんの成長の様子をブログを通して紹介できたらと思っています。

 

28歳で一児の父になりました。まだまだ未熟です。頑張ります。

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